昨日は、「KYOTORY」も「CS」も2021年最後の練習となりました。
私は昼まで「KYOTORYの強化練習試合」を行い、午後から「CSの練習」に参加しました。
「この一年は、すっごく充実していたな〜。」
今日のブログは、たくさんスクロールすることになるので、指のストレッチからお願いします。笑
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信頼されるPGになるとチームは劇的に向上する
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今、「KYOTORY」も「CS」もレベルアップしていけるように取り組んでいます。
「KYOTORY」は、新チームとしての活動がスタートしましたので、2022年に今年の経験を踏まえて更に高みを目指して取り組めるように心がけています。
「CS」は、もうすぐ府新人がはじまりますし、2022年は、CSを立ち上げて3年目の年となります。
このことから、2022年は、「勝負の年」と位置づけています。
昨日は、どちらのチームもチームの中心選手に期待を込めて厳しく指導しました。
私が常々、心がけていることのひとつに、大きな期待を込めている選手には期待をしているレベルで向き合うようにしています。
これは、試練を与えたり、厳しく指導したり、本人がびっくりするようなチャンスを与えたりと形は様々ですが、何かしらの機会を意図的に作ります。
面白いことに昨日、厳しく指導した選手は、どちらも「PGの選手」でした。
「KYOTORY」は、現在、PGのポジションを巡って競争が行われていますが、私は、PGというポジションをすごく大切にしています。
PGを誰にするかで、その年の一年が決まると言っても過言ではありません。
それくらいPGは、重要なポジションです。
その重要なポジションを担う選手には、それにふさわしい人間性を養ってもらいたいと思っています。
PGがクリエイトするプレイ、パス、指示は、心から信頼のできる人が作るプレイなのか、それとも、信頼されていない人が作るプレイかでは全く異なります。
一流のPGは、"ゲームを支配する"と言われますが、信頼されていないPGは、ゲームを潰します。
これを監督に置き換えると、信頼されている監督の下で選手がプレイするとチームはどんどんよくなり結果を残していきますが、
信頼されていない監督の下で選手がプレイすると、チームには重たい空気が流れますし、ゲームはただこなしているだけの試合になり、勝てるゲームですら勝ち切れないチームになっていまいます。
ここに共通しているのが「信頼」です。
PGは、ゲームを作る存在ですし、コート上の監督とも言われています。
このことから、必然的に、PGには要求するものが高くなります。
「CS」には、3年目で勝負するにふさわしい選手(PG)がいます。
彼女は、明るくて元気で、プレイから「バスケットが大好き」というのが伝わってきます。
この年に、楽しみなPGがいるというのは、2022年は期待ができます。
ただ、彼女をスケールの大きな選手にしていくには、チームを勝利に導くことができる存在にならなければいけません。
そのためには、チームを大きく動かすことのできる影響力を身につけなければいけません。
普段から明るい性格の選手ですので、"チームの中では目立つ存在"ですが、私からすると、チームの中で目立つ存在だが、"チームを大きく動かすことのできる存在"にはなれていません。
このことから、2022年は、彼女が大きく成長できる選手になるために、組織(チーム)作りから勉強させていきたいと考えています。
さぁ、どんな2022年になるのか楽しみです!
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2021年を振り返る
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2021年が終わろうとしています。
本日は、2021年を振り返りたいと思います。
本日の内容は、全てスーパー私目線ですので、「コイツこんなことを思ってたんか?」くらいで流してもらえたら幸いです。
2021年は、MRSKNでの20年間の指導を終えて公立を退職したところから始まりました。
今から思うと20年間魂を込めて過ごした場所を離れるという決断は、私にKYOTORYで腹を括るという"覚悟"を作ってくれたように思います。
"慣れ親しんだ場所"を離れて、全く"新しい場所"に飛び込むというのは思ってる以上に大変で新しい環境に順応するのに苦労しました。
2021年は、総監督のご厚意で少しずつKYOTORYにも顔を出せるようになりました。(本当に有難かったです)
ただ、コロナの影響で新人戦が中止になり、学校も2週間ほど休校になったことから、練習らしい練習に関われるようになったのは3月の中旬頃でした。
また、MRSKNでは最後の卒業生を送り出したことで私の中で一区切りがついたように思います。
4月に入り、公立と私学の働き方や業務内容の違いに戸惑いの連続で、「アカン、今までやってきたことは通用しない。」だから、「一旦全て捨てよう!」と、そして、まずは、新しい環境を全て"受け入れる"ところからスタートしました。
まずは、当たり前かもしれませんが、"言われたことを素直にやってみる"ということを大切にしました。
実は、これが一番しんどいことだったかもしれません。
なぜなら、今までは自分の意見で学校を動かしてきたという自負があったからです。(何様やねんっ!笑)
そんな思いを抱きながら、インターハイ予選に向けてチーム一丸となって取り組んでいた矢先に、コロナで大会を辞退せざるを得なくなり、目の前が真っ暗になったのを今でも鮮明に覚えています。
このときは、オンラインで何度もミーティングを行って、みんなで涙を流しながら悔しい思いを共有しました。
そして、私がチームメンバーを支えられる存在にならなければいけないと思い、様々な企画を計画して、選手たちが少しでも前を向いて歩めるように考えました。
このときの選手たちは本当に素晴らしかったです。
チームが崩壊してもおかしくない状況であるにも関わらず、自分たちのできることに目を向けてバスケットに打ち込んでくれたのですから・・・。
インターハイ予選を辞退したときに、10年連続で決勝に進出していた記録が11年目で途切れました。
このことはあまり気になりませんでしたが、このタイミングで決勝解説をすることが辛かったです。
本音を言うと「やりたくない。」と思ってしましました。
しかし、こういうタイミングだからこそ、やる意味があるとも思いました。
その後、近畿大会が行われましたが、チームの練習が少しずつ再開されるようになり、少しでも選手たちと一緒に過ごしたいと思っていた時期でしたので、チームを離れて近畿大会の選手選考委員として大会に3日間帯同することもしんどかったです。
そして、近畿大会、定期考査が終了し、やっと対人の練習や練習試合が認められるようになりました。
このことから、KYOTORYで本格的にバスケットの指導ができていると感じられたのはこの頃からです。
近畿大会で有難かったことは、京都の優勝チームが近畿大会で優勝されたことで、ウインターカップの出場権がひと枠増えたことです。(優勝チームにはホント感謝しかありません)
同時に、全く公式戦を経験しないままウインターカップ予選を迎える"怖さ"はウインターカップ予選が終わるまで常につきまとっていました。(この期間は、じんましん期間でした。笑)
チャンスを確実にものにするためにウインターカップ予選から現在までの期間を逆算して、いつまでにどれくらいのレベルにまでもっていかなければいけないのかを常にチェックしながら練習を行いました。
このときに、チェックするための材料は、"過去のバスケノート"です。
過去のバスケノートを読み返して、「この時期に◯◯までできていたら大丈夫!」ということを常に確認しながら練習を行ったいました。
このときにすごく難しかったことは、私が"経験してきたことを選手たちに伝える難しさ"です。
できるだけ丁寧に、実際にあった事例などを踏まえて話をしましたがなかなか思うように伝わりません。
選手たちたちは、一生懸命に私の話を聞いてくれますし、選手たちなりに一生懸命に取り組んでくれていました。
しかし、"私が見ている世界"と"選手たちが思っている世界"には大きなギャップがあり、このギャップを埋めるために試行錯誤しましたし、悩みは絶えませんでした。
ただ、これは誰が悪いというものではなく、"百聞は一見にしかず"という言葉があるように経験しないとわからないものです。
でも、これを「仕方がない」ということで終わらせたくない私は、「どうしたら上手く伝わるだろう?!」と日々、自問自答しながら選手たちと向き合っていました。
とにかく、"諦める"ということを知らない私は、"自分のできること"にのみ目を向けて指導し続けました。
7月.8月にウインターカップ予選までに私学大会という準公式戦が行われたことは、経験のないチームからすると"出場したくて仕方かまない大会"でしたが、強豪校と対戦する前に中止になり、なかなか思うようにチーム作りができない状況が続きました。
インターハイ予選を辞退したことにより、シード権がなくなり市部予選からのスタートとなったウインターカップ予選。
「やっと公式戦を経験できる!」と思ったのと同時に、「市部予選でコロナに感染したらもう終わりやか!(3年生の大会は終了)」と考えると市部予選までの時間が本当に怖くなりました。
このときは、考えられるすべての状況を書き出して、すべての状況に対応するためにはどのような対策をすればいいのかを自分なりにまとめて、ウインターカップ予選の会議にも提出しました。
このときは、純粋に「子どもたちに思いっきり試合をさせてやりたい!」という思いで必死でした。(狂ってたかも。笑)
本当にありとあらゆる方法を考えましたし、考え過ぎた挙句、体調を崩して倒れてしまいました。笑
そして、ウインターカップ市部予選は自宅で寝込んでしまうという始末。ホント情けないです。
このときは、情けなすぎて自宅の寝室で泣いてたな~。
選手たちのおかげで、京都府予選に駒を進めることができ、府予選の組み合わせが決まったときに、ウインターカップに出場するためのシナリオをじっくり描き直し、最高の目標は優勝、最低の目標はウインターカップ出場としました。
そして、迎えたウインターカップ予選、やはりというか、こちらが思っている以上に上手く戦うことができず、"経験のないチーム"で戦う難しさを痛感させれました。
「本来ならここで崩れないだろう。」というところで崩れてしまう怖さを常に持ちながら戦っていたように思います。
それでも、なんとかウインターカップの出場権を掴み取ってくれた選手たちは本当に凄い奴らです。(意地を見せてくれたように思います)
ウインターカップ予選が終わり、本番までに私がこだわったことは「甘さの排除」です。
この部分を克服しないとウインターカップは出場して終わるだけの大会になるかもしれないと思ったからです。
このことから、最低の目標は「1勝」と掲げてウインターカップまでにもう一段レベルアップできるように取り組みました。
何事も現状に満足のできない私は、"最後の追い込み"と位置づけて選手たちととことん向き合いました。
選手たちからすると、「まだ怒られんの??」という気持ちになったかもしれませんが、それでも、妥協のない時間を過ごしました。
その甲斐があってかはわかりませんが、ウインターカップで勝利することができて、2021年は、私が最低ここまではもってきたいと思っていたところにはこれたかな?と思っています。
もちろん、ウインターカップは、もっと上まで勝ち進みたいと思って様々な準備をしてきましたが、一年で、また、様々な困難を乗り越えて選手たちには本当に良くやってくれたという気持ちでいっぱいです。
多くの困難や苦労を乗りえながら過ごしていた一年は、終わってみるとすごく楽しいと感じますし、"充実"していました。
いつも思うことですが、苦労の少ない年より、苦労の多い年のほうが"充実した一年"だったと感じます。
2022年は、どんな苦労があるかな??
最後に、
2021年も素敵な年になりました。
皆さん、本当にありがとうございました。
多くの出会い、多くの方々に支えられて2021年も締めくくることができました。
全ての人に心から感謝申し上げます。
「ありがとうございました!」
そして、良いお年をお迎えください!
私は昼まで「KYOTORYの強化練習試合」を行い、午後から「CSの練習」に参加しました。
「この一年は、すっごく充実していたな〜。」
今日のブログは、たくさんスクロールすることになるので、指のストレッチからお願いします。笑
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信頼されるPGになるとチームは劇的に向上する
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今、「KYOTORY」も「CS」もレベルアップしていけるように取り組んでいます。
「KYOTORY」は、新チームとしての活動がスタートしましたので、2022年に今年の経験を踏まえて更に高みを目指して取り組めるように心がけています。
「CS」は、もうすぐ府新人がはじまりますし、2022年は、CSを立ち上げて3年目の年となります。
このことから、2022年は、「勝負の年」と位置づけています。
昨日は、どちらのチームもチームの中心選手に期待を込めて厳しく指導しました。
私が常々、心がけていることのひとつに、大きな期待を込めている選手には期待をしているレベルで向き合うようにしています。
これは、試練を与えたり、厳しく指導したり、本人がびっくりするようなチャンスを与えたりと形は様々ですが、何かしらの機会を意図的に作ります。
面白いことに昨日、厳しく指導した選手は、どちらも「PGの選手」でした。
「KYOTORY」は、現在、PGのポジションを巡って競争が行われていますが、私は、PGというポジションをすごく大切にしています。
PGを誰にするかで、その年の一年が決まると言っても過言ではありません。
それくらいPGは、重要なポジションです。
その重要なポジションを担う選手には、それにふさわしい人間性を養ってもらいたいと思っています。
PGがクリエイトするプレイ、パス、指示は、心から信頼のできる人が作るプレイなのか、それとも、信頼されていない人が作るプレイかでは全く異なります。
一流のPGは、"ゲームを支配する"と言われますが、信頼されていないPGは、ゲームを潰します。
これを監督に置き換えると、信頼されている監督の下で選手がプレイするとチームはどんどんよくなり結果を残していきますが、
信頼されていない監督の下で選手がプレイすると、チームには重たい空気が流れますし、ゲームはただこなしているだけの試合になり、勝てるゲームですら勝ち切れないチームになっていまいます。
ここに共通しているのが「信頼」です。
PGは、ゲームを作る存在ですし、コート上の監督とも言われています。
このことから、必然的に、PGには要求するものが高くなります。
「CS」には、3年目で勝負するにふさわしい選手(PG)がいます。
彼女は、明るくて元気で、プレイから「バスケットが大好き」というのが伝わってきます。
この年に、楽しみなPGがいるというのは、2022年は期待ができます。
ただ、彼女をスケールの大きな選手にしていくには、チームを勝利に導くことができる存在にならなければいけません。
そのためには、チームを大きく動かすことのできる影響力を身につけなければいけません。
普段から明るい性格の選手ですので、"チームの中では目立つ存在"ですが、私からすると、チームの中で目立つ存在だが、"チームを大きく動かすことのできる存在"にはなれていません。
このことから、2022年は、彼女が大きく成長できる選手になるために、組織(チーム)作りから勉強させていきたいと考えています。
さぁ、どんな2022年になるのか楽しみです!
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2021年を振り返る
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2021年が終わろうとしています。
本日は、2021年を振り返りたいと思います。
本日の内容は、全てスーパー私目線ですので、「コイツこんなことを思ってたんか?」くらいで流してもらえたら幸いです。
2021年は、MRSKNでの20年間の指導を終えて公立を退職したところから始まりました。
今から思うと20年間魂を込めて過ごした場所を離れるという決断は、私にKYOTORYで腹を括るという"覚悟"を作ってくれたように思います。
"慣れ親しんだ場所"を離れて、全く"新しい場所"に飛び込むというのは思ってる以上に大変で新しい環境に順応するのに苦労しました。
2021年は、総監督のご厚意で少しずつKYOTORYにも顔を出せるようになりました。(本当に有難かったです)
ただ、コロナの影響で新人戦が中止になり、学校も2週間ほど休校になったことから、練習らしい練習に関われるようになったのは3月の中旬頃でした。
また、MRSKNでは最後の卒業生を送り出したことで私の中で一区切りがついたように思います。
4月に入り、公立と私学の働き方や業務内容の違いに戸惑いの連続で、「アカン、今までやってきたことは通用しない。」だから、「一旦全て捨てよう!」と、そして、まずは、新しい環境を全て"受け入れる"ところからスタートしました。
まずは、当たり前かもしれませんが、"言われたことを素直にやってみる"ということを大切にしました。
実は、これが一番しんどいことだったかもしれません。
なぜなら、今までは自分の意見で学校を動かしてきたという自負があったからです。(何様やねんっ!笑)
そんな思いを抱きながら、インターハイ予選に向けてチーム一丸となって取り組んでいた矢先に、コロナで大会を辞退せざるを得なくなり、目の前が真っ暗になったのを今でも鮮明に覚えています。
このときは、オンラインで何度もミーティングを行って、みんなで涙を流しながら悔しい思いを共有しました。
そして、私がチームメンバーを支えられる存在にならなければいけないと思い、様々な企画を計画して、選手たちが少しでも前を向いて歩めるように考えました。
このときの選手たちは本当に素晴らしかったです。
チームが崩壊してもおかしくない状況であるにも関わらず、自分たちのできることに目を向けてバスケットに打ち込んでくれたのですから・・・。
インターハイ予選を辞退したときに、10年連続で決勝に進出していた記録が11年目で途切れました。
このことはあまり気になりませんでしたが、このタイミングで決勝解説をすることが辛かったです。
本音を言うと「やりたくない。」と思ってしましました。
しかし、こういうタイミングだからこそ、やる意味があるとも思いました。
その後、近畿大会が行われましたが、チームの練習が少しずつ再開されるようになり、少しでも選手たちと一緒に過ごしたいと思っていた時期でしたので、チームを離れて近畿大会の選手選考委員として大会に3日間帯同することもしんどかったです。
そして、近畿大会、定期考査が終了し、やっと対人の練習や練習試合が認められるようになりました。
このことから、KYOTORYで本格的にバスケットの指導ができていると感じられたのはこの頃からです。
近畿大会で有難かったことは、京都の優勝チームが近畿大会で優勝されたことで、ウインターカップの出場権がひと枠増えたことです。(優勝チームにはホント感謝しかありません)
同時に、全く公式戦を経験しないままウインターカップ予選を迎える"怖さ"はウインターカップ予選が終わるまで常につきまとっていました。(この期間は、じんましん期間でした。笑)
チャンスを確実にものにするためにウインターカップ予選から現在までの期間を逆算して、いつまでにどれくらいのレベルにまでもっていかなければいけないのかを常にチェックしながら練習を行いました。
このときに、チェックするための材料は、"過去のバスケノート"です。
過去のバスケノートを読み返して、「この時期に◯◯までできていたら大丈夫!」ということを常に確認しながら練習を行ったいました。
このときにすごく難しかったことは、私が"経験してきたことを選手たちに伝える難しさ"です。
できるだけ丁寧に、実際にあった事例などを踏まえて話をしましたがなかなか思うように伝わりません。
選手たちたちは、一生懸命に私の話を聞いてくれますし、選手たちなりに一生懸命に取り組んでくれていました。
しかし、"私が見ている世界"と"選手たちが思っている世界"には大きなギャップがあり、このギャップを埋めるために試行錯誤しましたし、悩みは絶えませんでした。
ただ、これは誰が悪いというものではなく、"百聞は一見にしかず"という言葉があるように経験しないとわからないものです。
でも、これを「仕方がない」ということで終わらせたくない私は、「どうしたら上手く伝わるだろう?!」と日々、自問自答しながら選手たちと向き合っていました。
とにかく、"諦める"ということを知らない私は、"自分のできること"にのみ目を向けて指導し続けました。
7月.8月にウインターカップ予選までに私学大会という準公式戦が行われたことは、経験のないチームからすると"出場したくて仕方かまない大会"でしたが、強豪校と対戦する前に中止になり、なかなか思うようにチーム作りができない状況が続きました。
インターハイ予選を辞退したことにより、シード権がなくなり市部予選からのスタートとなったウインターカップ予選。
「やっと公式戦を経験できる!」と思ったのと同時に、「市部予選でコロナに感染したらもう終わりやか!(3年生の大会は終了)」と考えると市部予選までの時間が本当に怖くなりました。
このときは、考えられるすべての状況を書き出して、すべての状況に対応するためにはどのような対策をすればいいのかを自分なりにまとめて、ウインターカップ予選の会議にも提出しました。
このときは、純粋に「子どもたちに思いっきり試合をさせてやりたい!」という思いで必死でした。(狂ってたかも。笑)
本当にありとあらゆる方法を考えましたし、考え過ぎた挙句、体調を崩して倒れてしまいました。笑
そして、ウインターカップ市部予選は自宅で寝込んでしまうという始末。ホント情けないです。
このときは、情けなすぎて自宅の寝室で泣いてたな~。
選手たちのおかげで、京都府予選に駒を進めることができ、府予選の組み合わせが決まったときに、ウインターカップに出場するためのシナリオをじっくり描き直し、最高の目標は優勝、最低の目標はウインターカップ出場としました。
そして、迎えたウインターカップ予選、やはりというか、こちらが思っている以上に上手く戦うことができず、"経験のないチーム"で戦う難しさを痛感させれました。
「本来ならここで崩れないだろう。」というところで崩れてしまう怖さを常に持ちながら戦っていたように思います。
それでも、なんとかウインターカップの出場権を掴み取ってくれた選手たちは本当に凄い奴らです。(意地を見せてくれたように思います)
ウインターカップ予選が終わり、本番までに私がこだわったことは「甘さの排除」です。
この部分を克服しないとウインターカップは出場して終わるだけの大会になるかもしれないと思ったからです。
このことから、最低の目標は「1勝」と掲げてウインターカップまでにもう一段レベルアップできるように取り組みました。
何事も現状に満足のできない私は、"最後の追い込み"と位置づけて選手たちととことん向き合いました。
選手たちからすると、「まだ怒られんの??」という気持ちになったかもしれませんが、それでも、妥協のない時間を過ごしました。
その甲斐があってかはわかりませんが、ウインターカップで勝利することができて、2021年は、私が最低ここまではもってきたいと思っていたところにはこれたかな?と思っています。
もちろん、ウインターカップは、もっと上まで勝ち進みたいと思って様々な準備をしてきましたが、一年で、また、様々な困難を乗り越えて選手たちには本当に良くやってくれたという気持ちでいっぱいです。
多くの困難や苦労を乗りえながら過ごしていた一年は、終わってみるとすごく楽しいと感じますし、"充実"していました。
いつも思うことですが、苦労の少ない年より、苦労の多い年のほうが"充実した一年"だったと感じます。
2022年は、どんな苦労があるかな??
最後に、
2021年も素敵な年になりました。
皆さん、本当にありがとうございました。
多くの出会い、多くの方々に支えられて2021年も締めくくることができました。
全ての人に心から感謝申し上げます。
「ありがとうございました!」
そして、良いお年をお迎えください!