本日で、2020年が終わりますね。
今年は、本当に大変な1年となりましたが、皆さんにとって、「2020年を振り返る」とどのような年になったでしょうか?
私は、「当たり前のことに感謝」の気持ちが強くなり、「人として成長させてもらった一年」となりました。
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2020年を振り返る
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2020年は、私の「人生のターニングポイント」となる年となりました。
この一年は、一生大切にしたいと思える年となりましたので、少々長くなりますが、思い出に浸りながら2020年を振り返りたいと思います。
本日は、純粋に私が感じていたことを書きたいと思います。
2019年のウインターカップ予選が終わり、「今年の紫野には、勝つチャンスがある。」と、色々なところで耳にしながらスタートさせた新チーム。
そんな世間の声を吹き飛ばすような勢いで、妥協のない練習で12月を駆け抜けました。
選手たちは、私の厳しい指導にも負けずに、年末の強化練習試合では、大きく力をつけて2019年を締めくくりました。
2020年1月1日
日本一 努力を重ね、
日本一 自分自身と子どもたちと向き合い、
日本一 質の高い練習を追求する
この抱負を「Facebook」で投稿しました。
OG戦では、多くの卒業生が体育館に足を運んでくれました。
ホント、嬉しかったなぁ~。
毎年、主催している新年早々の招待試合では、全国の強豪校相手に、粘り強く戦うことで、メキメキと力をつけていきました。
力をつけて挑んだ新人戦は、優勝決定戦までは、順調に勝ち進むことごできました。
しかし、優勝決定戦では、相手の高さに途中で心が折れてしまい「戦う以前の試合」となりました。
選手たちには、私が指揮を執った16年の新人戦の中で、「ワースト3位」に入る試合内容だったと伝えました。
私も選手たちもこのことを真摯に受け止めて、まずは、次の新人近畿大会で「新人戦から成長した姿を見せられるように頑張ろ!」と、再出発しました。
新人近畿大会では、優勝チームと対戦することができるということで、新人戦の反省を踏まえて、本気で勝ちにいくべく、近畿大会までに1部リーグの大学と2度ほど練習試合を行いました。
大学との練習試合では、勝つこともあり、ある程度手ごたえを感じながら近畿大会を迎えました。
しかし、優勝チームとの対戦は、前半に、優勝決定戦と同じく、高さを嫌がり、ドライブを避けてプレイし、そのままハーフタイムに入ってしまいました。
ハーフタイム中は、チャレンジしなかったことに対して、めちゃくちゃ怒ったなぁ。笑
逃げずに、向かっていく姿勢を作ることを求めて迎えた後半は、一進一退の攻防が続きましたが、前半のリードを縮めることができず、終わってみたら20年差で敗退となりました。
ただ、徐々に戦うチームになってきているのかなと成長も感じていました。
この経験を活かして、「さぁ、これから!」ということきに、新型コロナウイルスが全世界で大流行し、先の見えない時間(休校期間)を過ごすこととなります。
この時期に、ひとつ良かったことは、「CLUB SIGNPOST」を立ち上げる準備に多くの時間を割くことができたということです。
夜な夜な準備を進めて、4月1日に、税務署に書類を届けられたことは不幸中の幸いです。
部活に関しては、出口の見えないトンネルに突入したような気持ちになりましたが、不思議とこの期間を「どこよりも成長できるチャンス!」と捉えて、より一層頑張ろうと燃えていました。
私は、この休校期間を「伝説のはじまり」期間と位置付けて、「日本一努力して、他を圧倒する期間を過ごそう」と、思いつく限りのありとあらゆる取り組みを行いました。
やれることはすべてやり尽くしたと自信を持って言えますが、もう、あれだけ不眠不休の時間はいらないかな・・・。
毎日の体調管理、体重・体脂肪の管理、クラウド上で活動日誌・目標設定を記入、オンラインミーティング、リモートトレーニング、オンライン面談、家庭訪問、オンラインディスカッション(Wリーグの選手とミーティング)、そして、個人スキルを向上させるために様々な企画を行いました。
毎日、選手たちから送られてくる練習動画をチェックするだけで最低でも2時間はかかっていたと思います。
そういえば、モチベーション動画も徹夜で作ったなぁ。
この期間のことを思い出すと、今でも泣けてきます・・・。
私にとっても、選手たちにとっても、「一生の心の支えとなるような期間」になったことは間違いありません。
また、この期間にたくさんの「人のやさしさ」に触れることができました。
BB-PHOTOさんがクラウドファンディングを立ち上げるということで協力依頼があり、なんとしてでも成功させようと、クラウドファンディングを勉強して、少しでも多くの支援金を集めて、京都に貢献したいと思いました。
このクラウドファンディングは、卒業生や関係者のご協力により、多くの支援金が集まり、感謝してもしきれません。
また、このクラウドファンディングとは、別に卒業生が現役生のために支援金を集めてくれました。
色々、素敵すぎて感激・感動の連続でした。
本校の卒業生は、いつも何かあるたびに、体育館に遊びに来てくれ、全国大会に出場すると、多額の寄付金を集めてくれます。
私にとって、卒業生は、「最高の宝物」です。
休校期間が明けて、6月から徐々に練習が行えるようになりました。
学校でみんなの顔を見たときは、感動の再開のようで・・・仲間の大切さを再認識しました。
久しぶりの体育館で、選手たちはどれくらいプレイできるのかと思っていましたが、休校期間中の成果が出ていて、個人スキルも向上していたので、練習も比較的スムーズに再開することができました。
でも、5on5(10分間)が行えるようになるまで3週間かかったのにはびっくりしました。
「CLUB SIGNPOST」も本格的に始動しました。
高校の教員がクラブチームを立ち上げたことに対して、今でも色々なご意見があると聞きますが、それでも、立ち上げて良かったと心から思っています。
こちらも「自分がやらねば誰がやるんだ?!」という強い思いで進めてきましたので、初めての練習会は、本当に感慨深いものがありました。
7月に入って、インターハイ予選の代替試合が行われるいうことで、まずは、代替試合に向けて、準備を進めていましたが、こちらも途中で中止となりました。
この時期くらいから、「心が折れる」というより、色々ありすぎて、「折れる心がなくなった」ように思います。笑(無敵状態になった)
8月は、色々遠征に出ようと思っていましたが、コロナの影響でキャンセルをせざるを得なくなり、京都府内の練習試合を中心に行いました。
この時期に行った練習試合では、休校期間中の取り組みのおかげで他校と大きな差がついたと感じることができました。
8月に行った、紫野とCSの強化練習は、有意義な時間を過ごすことができました。
今だから言えることですが、今年、国体の活動があれば、紫野・CS・国体と3チームを指導することになり、多分、ぶっ倒れていたと思います。笑
というか、CSの活動ができていないように思います。
クラブチームを設立するということだけで言えば、もしかしたら、今年以外では、なし得なかったかもしれません。
9月も一生忘れることのできない時間を過ごしました。
部員に「今年で紫野を退職する」と伝え、今までで一番心の痛いミーティングとなりました。
ここからウインターカップ予選が終わるまでは、1日50時間くらいあるかのような忙しさで、何がどう起こっていったのか記憶にないくらい色々なことがありました。
大きな問題を同時並行して抱えており、でも、全部大切なことばかりで、だからこそ、全部のことを大切に取り扱いたくて・・・とにかく、死に物狂いで毎日を送っていたように思います。
この時期に、CSのリーグ戦がはじまり、そして、ウインターカップ予選に向けた練習試合も組んでおり、3年生の進路指導も行い、なかなか、経験できない濃い時間を送ることになりました。
そんな中、ウインターカップ予選に向けて、ひとつずつ課題を克服することができており、着実にチームは成長していきました。
ただ、ひとつ後悔していることがあるとするならば、後半の戦い方を克服してウインターカップ予選に挑むことができなかったことです。
結果として、この部分が決勝の舞台で出てしまいました。
これは、全国でベスト8のチームと対戦したときも前半はリードしていても後半に足にきてしまい、結果として、10数点あけられて負けてしまうという課題があったので・・・ここまで、準備できなかったことが悔やまれます。
決勝戦は、皆さん、ご存じのとおりです。
試合が終わったときに、「これで、紫野でのバスケが終わったんか・・・」と、思うと涙が止まらなくなり、トイレにこもって一人でただただ悲しみに暮れていました。
このメンバーで「ウインターカップ」のコートに立ちたかったです。
最後の最後まで一緒にバスケがしたかった。
しかし、「自分たちの弱さと徹底的に向き合ってきたチーム」だからこそ、大きく成長することができたと思っています。
キャプテンを中心として、本当によく頑張ってくれましたし、一生忘れることのないチームになりました。
ウインターカップ予選が終わり、次の週末に、今度は、CSの決定戦が行われることになっており、気持ちの整理もつかないまま、決定戦を迎えました。
この決定戦の負けは、私にあると思っています。
大会を迎えるまでに、もっと、選手たちに「心の面」を指導していたら負けることはなかったと思っていますし、そこまで、指導しきれなかった私の責任です。
短期間で、ほとんど、1ゲームの経験をすることなく、決定戦を迎えたので難しい部分はありましたが、それでも、やり切らなければいけなかったと感じています。
ただ、CSのメンバーは、決定戦の負けを、その後の練習で活かそうとしていますので、彼女たちの今後に必ず活かされると思っています。
11月は、私が紫野で指導する最後の月となりました。
この1カ月は、正直、キツかったです・・・。
言葉は適切ではありませんが、余命宣告を受けているかのような気持ちになり、朝を迎えて学校に行くのが、はじめて「嫌だな。」と思って勤務していたように思います。
人生ではじめて、「時間が止まればいいのに・・・」とすら思いました。
自分で決断したことなので、「何を勝手なことを言っているんだ。」と思われるかもしれませんが、それくら、色々な思いが脳裏を駆け巡り、複雑な時間を過ごしました。
今まで誰よりも紫野を大切にしてきたからこそ、これだけ苦しい時間を過ごすことになったのかなと思っています。
そして、11月29日(日)をもって、私の役目が終了しました。
この日の夜は、「これからしばらくの間、何をしたらいいんだろう?」と、なぜか、恐怖を感じ、怖くて眠れなかったのを今でも鮮明に覚えています。
定年退職するときというのは、もしかすると、このような気持ちになるのかなと・・・と感じた瞬間でした。
そして、12月に入り、新たな道に向かって、ゆっくりと歩きはじめることになりました。
12月に入って、いくつかチームを指導させてもらいましたが、すべてのチームに感謝しています。
その中でも多くの時間を共に過ごしたチームもありますが、何者かわからない私を受けれいてくれて感謝してもしきれません。
こういう仲間を一生大切にできる自分でありたいと心から思っています。
最後に、2020年の激動の年に、3年生と、このメンバーで過ごせた奇跡に心から感謝しています。
「ありがとう!」
今年は、本当に大変な1年となりましたが、皆さんにとって、「2020年を振り返る」とどのような年になったでしょうか?
私は、「当たり前のことに感謝」の気持ちが強くなり、「人として成長させてもらった一年」となりました。
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2020年を振り返る
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2020年は、私の「人生のターニングポイント」となる年となりました。
この一年は、一生大切にしたいと思える年となりましたので、少々長くなりますが、思い出に浸りながら2020年を振り返りたいと思います。
本日は、純粋に私が感じていたことを書きたいと思います。
2019年のウインターカップ予選が終わり、「今年の紫野には、勝つチャンスがある。」と、色々なところで耳にしながらスタートさせた新チーム。
そんな世間の声を吹き飛ばすような勢いで、妥協のない練習で12月を駆け抜けました。
選手たちは、私の厳しい指導にも負けずに、年末の強化練習試合では、大きく力をつけて2019年を締めくくりました。
2020年1月1日
日本一 努力を重ね、
日本一 自分自身と子どもたちと向き合い、
日本一 質の高い練習を追求する
この抱負を「Facebook」で投稿しました。
OG戦では、多くの卒業生が体育館に足を運んでくれました。
ホント、嬉しかったなぁ~。
毎年、主催している新年早々の招待試合では、全国の強豪校相手に、粘り強く戦うことで、メキメキと力をつけていきました。
力をつけて挑んだ新人戦は、優勝決定戦までは、順調に勝ち進むことごできました。
しかし、優勝決定戦では、相手の高さに途中で心が折れてしまい「戦う以前の試合」となりました。
選手たちには、私が指揮を執った16年の新人戦の中で、「ワースト3位」に入る試合内容だったと伝えました。
私も選手たちもこのことを真摯に受け止めて、まずは、次の新人近畿大会で「新人戦から成長した姿を見せられるように頑張ろ!」と、再出発しました。
新人近畿大会では、優勝チームと対戦することができるということで、新人戦の反省を踏まえて、本気で勝ちにいくべく、近畿大会までに1部リーグの大学と2度ほど練習試合を行いました。
大学との練習試合では、勝つこともあり、ある程度手ごたえを感じながら近畿大会を迎えました。
しかし、優勝チームとの対戦は、前半に、優勝決定戦と同じく、高さを嫌がり、ドライブを避けてプレイし、そのままハーフタイムに入ってしまいました。
ハーフタイム中は、チャレンジしなかったことに対して、めちゃくちゃ怒ったなぁ。笑
逃げずに、向かっていく姿勢を作ることを求めて迎えた後半は、一進一退の攻防が続きましたが、前半のリードを縮めることができず、終わってみたら20年差で敗退となりました。
ただ、徐々に戦うチームになってきているのかなと成長も感じていました。
この経験を活かして、「さぁ、これから!」ということきに、新型コロナウイルスが全世界で大流行し、先の見えない時間(休校期間)を過ごすこととなります。
この時期に、ひとつ良かったことは、「CLUB SIGNPOST」を立ち上げる準備に多くの時間を割くことができたということです。
夜な夜な準備を進めて、4月1日に、税務署に書類を届けられたことは不幸中の幸いです。
部活に関しては、出口の見えないトンネルに突入したような気持ちになりましたが、不思議とこの期間を「どこよりも成長できるチャンス!」と捉えて、より一層頑張ろうと燃えていました。
私は、この休校期間を「伝説のはじまり」期間と位置付けて、「日本一努力して、他を圧倒する期間を過ごそう」と、思いつく限りのありとあらゆる取り組みを行いました。
やれることはすべてやり尽くしたと自信を持って言えますが、もう、あれだけ不眠不休の時間はいらないかな・・・。
毎日の体調管理、体重・体脂肪の管理、クラウド上で活動日誌・目標設定を記入、オンラインミーティング、リモートトレーニング、オンライン面談、家庭訪問、オンラインディスカッション(Wリーグの選手とミーティング)、そして、個人スキルを向上させるために様々な企画を行いました。
毎日、選手たちから送られてくる練習動画をチェックするだけで最低でも2時間はかかっていたと思います。
そういえば、モチベーション動画も徹夜で作ったなぁ。
この期間のことを思い出すと、今でも泣けてきます・・・。
私にとっても、選手たちにとっても、「一生の心の支えとなるような期間」になったことは間違いありません。
また、この期間にたくさんの「人のやさしさ」に触れることができました。
BB-PHOTOさんがクラウドファンディングを立ち上げるということで協力依頼があり、なんとしてでも成功させようと、クラウドファンディングを勉強して、少しでも多くの支援金を集めて、京都に貢献したいと思いました。
このクラウドファンディングは、卒業生や関係者のご協力により、多くの支援金が集まり、感謝してもしきれません。
また、このクラウドファンディングとは、別に卒業生が現役生のために支援金を集めてくれました。
色々、素敵すぎて感激・感動の連続でした。
本校の卒業生は、いつも何かあるたびに、体育館に遊びに来てくれ、全国大会に出場すると、多額の寄付金を集めてくれます。
私にとって、卒業生は、「最高の宝物」です。
休校期間が明けて、6月から徐々に練習が行えるようになりました。
学校でみんなの顔を見たときは、感動の再開のようで・・・仲間の大切さを再認識しました。
久しぶりの体育館で、選手たちはどれくらいプレイできるのかと思っていましたが、休校期間中の成果が出ていて、個人スキルも向上していたので、練習も比較的スムーズに再開することができました。
でも、5on5(10分間)が行えるようになるまで3週間かかったのにはびっくりしました。
「CLUB SIGNPOST」も本格的に始動しました。
高校の教員がクラブチームを立ち上げたことに対して、今でも色々なご意見があると聞きますが、それでも、立ち上げて良かったと心から思っています。
こちらも「自分がやらねば誰がやるんだ?!」という強い思いで進めてきましたので、初めての練習会は、本当に感慨深いものがありました。
7月に入って、インターハイ予選の代替試合が行われるいうことで、まずは、代替試合に向けて、準備を進めていましたが、こちらも途中で中止となりました。
この時期くらいから、「心が折れる」というより、色々ありすぎて、「折れる心がなくなった」ように思います。笑(無敵状態になった)
8月は、色々遠征に出ようと思っていましたが、コロナの影響でキャンセルをせざるを得なくなり、京都府内の練習試合を中心に行いました。
この時期に行った練習試合では、休校期間中の取り組みのおかげで他校と大きな差がついたと感じることができました。
8月に行った、紫野とCSの強化練習は、有意義な時間を過ごすことができました。
今だから言えることですが、今年、国体の活動があれば、紫野・CS・国体と3チームを指導することになり、多分、ぶっ倒れていたと思います。笑
というか、CSの活動ができていないように思います。
クラブチームを設立するということだけで言えば、もしかしたら、今年以外では、なし得なかったかもしれません。
9月も一生忘れることのできない時間を過ごしました。
部員に「今年で紫野を退職する」と伝え、今までで一番心の痛いミーティングとなりました。
ここからウインターカップ予選が終わるまでは、1日50時間くらいあるかのような忙しさで、何がどう起こっていったのか記憶にないくらい色々なことがありました。
大きな問題を同時並行して抱えており、でも、全部大切なことばかりで、だからこそ、全部のことを大切に取り扱いたくて・・・とにかく、死に物狂いで毎日を送っていたように思います。
この時期に、CSのリーグ戦がはじまり、そして、ウインターカップ予選に向けた練習試合も組んでおり、3年生の進路指導も行い、なかなか、経験できない濃い時間を送ることになりました。
そんな中、ウインターカップ予選に向けて、ひとつずつ課題を克服することができており、着実にチームは成長していきました。
ただ、ひとつ後悔していることがあるとするならば、後半の戦い方を克服してウインターカップ予選に挑むことができなかったことです。
結果として、この部分が決勝の舞台で出てしまいました。
これは、全国でベスト8のチームと対戦したときも前半はリードしていても後半に足にきてしまい、結果として、10数点あけられて負けてしまうという課題があったので・・・ここまで、準備できなかったことが悔やまれます。
決勝戦は、皆さん、ご存じのとおりです。
試合が終わったときに、「これで、紫野でのバスケが終わったんか・・・」と、思うと涙が止まらなくなり、トイレにこもって一人でただただ悲しみに暮れていました。
このメンバーで「ウインターカップ」のコートに立ちたかったです。
最後の最後まで一緒にバスケがしたかった。
しかし、「自分たちの弱さと徹底的に向き合ってきたチーム」だからこそ、大きく成長することができたと思っています。
キャプテンを中心として、本当によく頑張ってくれましたし、一生忘れることのないチームになりました。
ウインターカップ予選が終わり、次の週末に、今度は、CSの決定戦が行われることになっており、気持ちの整理もつかないまま、決定戦を迎えました。
この決定戦の負けは、私にあると思っています。
大会を迎えるまでに、もっと、選手たちに「心の面」を指導していたら負けることはなかったと思っていますし、そこまで、指導しきれなかった私の責任です。
短期間で、ほとんど、1ゲームの経験をすることなく、決定戦を迎えたので難しい部分はありましたが、それでも、やり切らなければいけなかったと感じています。
ただ、CSのメンバーは、決定戦の負けを、その後の練習で活かそうとしていますので、彼女たちの今後に必ず活かされると思っています。
11月は、私が紫野で指導する最後の月となりました。
この1カ月は、正直、キツかったです・・・。
言葉は適切ではありませんが、余命宣告を受けているかのような気持ちになり、朝を迎えて学校に行くのが、はじめて「嫌だな。」と思って勤務していたように思います。
人生ではじめて、「時間が止まればいいのに・・・」とすら思いました。
自分で決断したことなので、「何を勝手なことを言っているんだ。」と思われるかもしれませんが、それくら、色々な思いが脳裏を駆け巡り、複雑な時間を過ごしました。
今まで誰よりも紫野を大切にしてきたからこそ、これだけ苦しい時間を過ごすことになったのかなと思っています。
そして、11月29日(日)をもって、私の役目が終了しました。
この日の夜は、「これからしばらくの間、何をしたらいいんだろう?」と、なぜか、恐怖を感じ、怖くて眠れなかったのを今でも鮮明に覚えています。
定年退職するときというのは、もしかすると、このような気持ちになるのかなと・・・と感じた瞬間でした。
そして、12月に入り、新たな道に向かって、ゆっくりと歩きはじめることになりました。
12月に入って、いくつかチームを指導させてもらいましたが、すべてのチームに感謝しています。
その中でも多くの時間を共に過ごしたチームもありますが、何者かわからない私を受けれいてくれて感謝してもしきれません。
こういう仲間を一生大切にできる自分でありたいと心から思っています。
最後に、2020年の激動の年に、3年生と、このメンバーで過ごせた奇跡に心から感謝しています。
「ありがとう!」