私は、今まで自分のことを『先生』と言ったことがありません。
これには、賛否あると思いますが、どうしても自分のことを『先生』と呼ぶことに抵抗があります。
私が生徒の頃に出会った先生は、私の人生に大きな影響を与えてくださいました。
私は、そのような先生には、足元にも及びませんし、同じ土俵で「先生」とは、おこがましくて言えません。
いつまで経っても「僕」、もしくは、熱くなっているときは、「俺」、そして、全体の前では、「私」と言っています。
いつまで経っても「僕」、もしくは、熱くなっているときは、「俺」、そして、全体の前では、「私」と言っています。
昔、私の尊敬する指導者から
「先生は、先に生まれたから先生ではない。子どもを先に生かせることができるから先生なんだ。」と。
私は、「なるほど!」と、深く感銘を受けました。
かわいい子には、旅をさせよ。いう言葉があります。
親という字は、『木』の上に『立(って)』、子どもを『見(守る)』と書きます。
また、保護が過剰だと、過保護と言います。
指導者や親が過干渉になりすぎると、良かれと思ってやっていることが、実は、子どもの成長を妨げているということはよくあることです。
以前、日本一を何度も経験されている指導者の方から
「子どもは育てたようにしか育たない。」
というお言葉をいただきました。
「これは、指導者も親も一緒です。」と。
指導者の中には、「うちの選手は、○○できない。ホンマ、あいつらは。。」と言われる方もおられます。
こういうときは、自分の指導について、一度、見つめ直すいい機会となるのではないでしょうか。
私は、子どもたちを先に生かすことのできる指導者になれるよう、自分自身を磨いていかなくてはいけないと思っています。
子どもを先に生かせる = coach (導く)
そして、
私が大きな影響を受けた偉大な先生に少しでも近づけるよう頑張ります!
ところで、
私は、自分のことを、いつになったら「先生」言えるのでしょうか??