昨日は、一日仕事に没頭しました。
私は、仕事をダラダラするのを嫌っており、やると決めたら、いくつかの仕事を、並行して一気に進めます。
できるだけ、まとめて行える内容は、まとめて取り組み、まとめられない内容は、時間をズラして、より効率の良い、順番を考えて取り組みます。
無駄に時間を使いたくありませんので、より効率的に、効果的に計画を立てて行います。
バスケットから離れて、仕事だけに打ち込むのは、好きか、そうでないかと言えば、決して、好きとは言えません。
しかし、私は、この時間も結構、楽しんでいます。
正直、全ての仕事が楽しいという訳ではありませんが、そういう仕事を楽しめるように時間を使いたいと考えています。
私は、人生を楽しみたいと考えています。
しかし、楽しいことだけしたいという訳ではありません。
楽しいことをしようと思うと、大変なことも必ずやってきます。
私は、大変な状況ですら、楽しめるようになりたいと思っています。
それが、結果として、人生を楽しんでいることになるのではないかと考えています。
自分のしたくないことであっても、楽しめるようになってこそ、一流だと思っています。
今日は、少し踏み込んだ話をします。
先ほどの、『好きでないことも楽しめるようになる。』というスタンスを、今度は、バスケットに置き換えて考えてみたいと思います。
バスケットが楽しいという感情というのは、人によって大きな差があるように思います。
では、楽しさを細分化していきます。
バスケットをはじめた初心者が、ただ、日に日に成長する自分に喜びを感じ、楽しさを感じるようになります。
そこから、試合に出た時に感じる楽しさを味わい、そして、試合に出る楽しさから、次は、試合で勝ちたいという思いを抱き、初得点、初勝利に喜びを感じ、ますます、楽しくなります。
そうなると、更に、勝利を手に入れるために、練習に没頭し、高いレベルを目指すようになります。
高いレベルの試合で勝利すると、もっと、高いレベルを目指したいと思うようになります。
不思議なもので、欲求が満たされると、すぐに、次の欲求が出てきて、どんどん、高いレベルを求めるようになります。
良くなりたい、もっと、勝ちたい、優勝したいという思いが強くなることで、欲求が更に強くなります。
したがって、欲求が満たされるようになると、「もっと良くなりたい。」という気持ちが強くなるので、欲望(情熱)というのは、欲求を満たすことによって育てられると考えることができると思います。
一方で、もっと勝ちたいとか、〇〇選手に勝ちたいという気持ちが強くなっていくと、周りの選手もそのような選手が多くなってきますので、欲求を満たすことが難しくなってきます。
そうなると、初心者の頃のような感情を味わうことが少なくなってきたり、なかなか思うように成長を感じられなくなったりして、様々な葛藤をいただくようにもなります。
この辺りになってくると、だんだん、純粋に、バスケットを楽しむことが難しくなってきます。
なぜなら、初心者のように、すぐに、成長を感じられることが少なくなり、それよりも、上手くいかない自分との時間を多く過ごすことになるからです。
こういう自分は、楽しいというより、苦しいことのほうが多いかもしれません。
この頃になると、「自分には無理。」という気持ちを持つ選手も出てくるのではないかと思います。
しかし、これは、誰かが「無理やで!」と教えてくれたのではなく、自分で、勝手に、「無理」と決めつけているだけなのです。
そして、自分で、自分の限界を決めて、結果として、厳しい言い方になりますが『自分と向き合うこと』から逃れようとしているのです。
ただ、この逃れようとしている思考は、意識的か、無意識かというのは人によって異なります。
その場しのぎで生きていたら、その瞬間は、これが一番楽な選択です。
しかし、長期的なビジョンで、人生を振り返ると、この決断は、一番後悔する決断となります。
ということは、本当の意味でバスケットの楽しさを味わおうと思うと、向き合いたくない自分と向き合い続ける中で、芽生えてくるのではないでしょうか。
こういう経験を積むと、苦しいことですら、楽しめるようになります。
初心者のときに味わう苦労の少ない成長よりも、苦労を伴う成長のほうが、数倍、濃い時間を過ごしますし、喜びが大きいと感じます。
私は、毎年、高校のバスケットは、「冬まで続けて、本当の意味で3年生らしくなるよ。」と、よく言います。
3年生になって、色々な考えが出て、今まで見えなかったことが見えるようになってくると、純粋に、バスケットを楽しむことが難しくなってくることがあります。
そういう感情と向き合いながら、夏の期間を乗り越えると、一回りも、ふた回りもたくまりくなります。
不思議なもので、見違えるように成長します。
これは、ひとつの例ですので、これが、正しいとか、間違っているとか言っているのではありません。
本当の意味で、バスケットを楽しむというのは、このように考えると、結構、難しいことなのかもしれません。
しかし、これは、人生においても同じだと思っています。
ただ、楽しいことだけして、苦しいことから目を背けている人は、本当の意味で人生を楽しめていないのかもしれません。
人間の楽しむという本質を考えると、ただ、楽しむだけでなく、苦しいこと、辛いこと、上手くいかないことですら、楽しめるような心構えが備わって、本当の意味で楽しめるのではないかと思います。
さぁ、今日もコロナ期間を楽しもう!
私は、仕事をダラダラするのを嫌っており、やると決めたら、いくつかの仕事を、並行して一気に進めます。
できるだけ、まとめて行える内容は、まとめて取り組み、まとめられない内容は、時間をズラして、より効率の良い、順番を考えて取り組みます。
無駄に時間を使いたくありませんので、より効率的に、効果的に計画を立てて行います。
バスケットから離れて、仕事だけに打ち込むのは、好きか、そうでないかと言えば、決して、好きとは言えません。
しかし、私は、この時間も結構、楽しんでいます。
正直、全ての仕事が楽しいという訳ではありませんが、そういう仕事を楽しめるように時間を使いたいと考えています。
私は、人生を楽しみたいと考えています。
しかし、楽しいことだけしたいという訳ではありません。
楽しいことをしようと思うと、大変なことも必ずやってきます。
私は、大変な状況ですら、楽しめるようになりたいと思っています。
それが、結果として、人生を楽しんでいることになるのではないかと考えています。
自分のしたくないことであっても、楽しめるようになってこそ、一流だと思っています。
今日は、少し踏み込んだ話をします。
先ほどの、『好きでないことも楽しめるようになる。』というスタンスを、今度は、バスケットに置き換えて考えてみたいと思います。
バスケットが楽しいという感情というのは、人によって大きな差があるように思います。
では、楽しさを細分化していきます。
バスケットをはじめた初心者が、ただ、日に日に成長する自分に喜びを感じ、楽しさを感じるようになります。
そこから、試合に出た時に感じる楽しさを味わい、そして、試合に出る楽しさから、次は、試合で勝ちたいという思いを抱き、初得点、初勝利に喜びを感じ、ますます、楽しくなります。
そうなると、更に、勝利を手に入れるために、練習に没頭し、高いレベルを目指すようになります。
高いレベルの試合で勝利すると、もっと、高いレベルを目指したいと思うようになります。
不思議なもので、欲求が満たされると、すぐに、次の欲求が出てきて、どんどん、高いレベルを求めるようになります。
良くなりたい、もっと、勝ちたい、優勝したいという思いが強くなることで、欲求が更に強くなります。
したがって、欲求が満たされるようになると、「もっと良くなりたい。」という気持ちが強くなるので、欲望(情熱)というのは、欲求を満たすことによって育てられると考えることができると思います。
一方で、もっと勝ちたいとか、〇〇選手に勝ちたいという気持ちが強くなっていくと、周りの選手もそのような選手が多くなってきますので、欲求を満たすことが難しくなってきます。
そうなると、初心者の頃のような感情を味わうことが少なくなってきたり、なかなか思うように成長を感じられなくなったりして、様々な葛藤をいただくようにもなります。
この辺りになってくると、だんだん、純粋に、バスケットを楽しむことが難しくなってきます。
なぜなら、初心者のように、すぐに、成長を感じられることが少なくなり、それよりも、上手くいかない自分との時間を多く過ごすことになるからです。
こういう自分は、楽しいというより、苦しいことのほうが多いかもしれません。
この頃になると、「自分には無理。」という気持ちを持つ選手も出てくるのではないかと思います。
しかし、これは、誰かが「無理やで!」と教えてくれたのではなく、自分で、勝手に、「無理」と決めつけているだけなのです。
そして、自分で、自分の限界を決めて、結果として、厳しい言い方になりますが『自分と向き合うこと』から逃れようとしているのです。
ただ、この逃れようとしている思考は、意識的か、無意識かというのは人によって異なります。
その場しのぎで生きていたら、その瞬間は、これが一番楽な選択です。
しかし、長期的なビジョンで、人生を振り返ると、この決断は、一番後悔する決断となります。
ということは、本当の意味でバスケットの楽しさを味わおうと思うと、向き合いたくない自分と向き合い続ける中で、芽生えてくるのではないでしょうか。
こういう経験を積むと、苦しいことですら、楽しめるようになります。
初心者のときに味わう苦労の少ない成長よりも、苦労を伴う成長のほうが、数倍、濃い時間を過ごしますし、喜びが大きいと感じます。
私は、毎年、高校のバスケットは、「冬まで続けて、本当の意味で3年生らしくなるよ。」と、よく言います。
3年生になって、色々な考えが出て、今まで見えなかったことが見えるようになってくると、純粋に、バスケットを楽しむことが難しくなってくることがあります。
そういう感情と向き合いながら、夏の期間を乗り越えると、一回りも、ふた回りもたくまりくなります。
不思議なもので、見違えるように成長します。
これは、ひとつの例ですので、これが、正しいとか、間違っているとか言っているのではありません。
本当の意味で、バスケットを楽しむというのは、このように考えると、結構、難しいことなのかもしれません。
しかし、これは、人生においても同じだと思っています。
ただ、楽しいことだけして、苦しいことから目を背けている人は、本当の意味で人生を楽しめていないのかもしれません。
人間の楽しむという本質を考えると、ただ、楽しむだけでなく、苦しいこと、辛いこと、上手くいかないことですら、楽しめるような心構えが備わって、本当の意味で楽しめるのではないかと思います。
さぁ、今日もコロナ期間を楽しもう!
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