昨日は、午後から「指導者講習会」に行ってきました。
今回の「指導者講習会」は、DCの活動と連動させているのでお手伝いさせてもらいました。
と言っても、会場にいるだけで何も役には立っていませんが・・・笑
Jr.ウインカーカップ京都府予選会 予選リーグのYoutubeです。
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ガムシャラにやるから見えてくるものがある
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昨日、組織や人、それからプレイや戦術の「原理/原則」を考えること、物事の共通点を探って「言語化」したり、「別の分野に置き換える」ということを書きました。
本日は、「先が見えないとき」に私が心がけてきたことを綴りたいと思います。
昨日の記事で「選手が経験していないことを指導者が意図的に経験させる」ことが大切と言いましたが、こういうことは色々なことを経験していないと難しい部分もあると思います。
また、いくら優秀な指導者であっても全てのことを把握できている指導者などいないと思っています。
では、このようなときにどうすればいいのか?ということになりますが、
結論から言うと、「ガムシャラにやるしかない」と思っています。
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ただただガムシャラに過ごした20代
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何事も「先が見えないとき」は、ガムシャラにやり込む中で見えてくるものがあります。
例えば、私が20代の頃の指導は、指導ではなく、ただの罵声です・・・(ホント最低です)
指導中に「俺は勝ちたいんやっ!」と、感情をぶつけていただけだったように思います。
どのように指導をすれば、選手たちが良くなるのかなどわからず、来る日も来る日もただただ叫び続けていました。(今も怒っていますが、当時と今とでは全く違います)
もちろん、当時も自分なりに考えて指導していたつもりですが、今から思うと「ビジョンを持って指導することができていなかった」と言えます。
私は、27歳でチームの指揮を執り、この年に運良くインターハイとウインターカップに出場することができました。
このときは、間違いなく私の指導力ではなく、選手たちが素晴らしかっただけです。
行き当たりばったりの指導で、全く「再現性のない指導」をしていました。
ただただ闇雲に指導していただけなので、次の年はベスト4、その次の年はベスト8、そして、その次の年はベスト16で敗れるという本当に不甲斐ない戦績を残してしまいました。
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ビジョンを持つということがわかってきた30代
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結果は不甲斐ない結果になりましたが、「ガムシャラにやり続けてきた」ことで、この頃から少しずつ指導の捉え方が変わってきたように思います。
なんというか、どのように指導すれば選手が成長するのかが徐々に見えるようになってました。
そして、ほんの少しだけ「ビジョン」のようなものを持てるようになった次の年に一気に決勝まで駒を進めることができました。
そこから、再び「優勝」することができるようになりましたが、なんとなく◯◯したらチームは良くなるという指導で30代の頃を送っていたように思います。
このときは、ある程度「再現性のある指導」になっていましたが、自分の中で「芯」がないというか、「信念」を持って指導することができていなかったように思います。
このことから、20代の頃は「ただガムシャラに指導」し、30代の頃は「ビジョンを持てるようになってきたが信念のない指導」と言えるかもしれません。
そういう意味で、30代もガムシャラに指導し続けてきました。(今もガムシャラです)
そのような時間を送っていると、30代の終わり頃から、今まで取り組んできたことが繋がり始め、色々なことが整理されてきたのです。
点と点が線になって繋がってきたと実感できるようになりました。
例えるなら、「先の見えないトンネルを抜けた」と言った感じです。
スパっと目の前が明るくなったような気持ちになりました。
この頃から自分の中で見える世界が大きく変わりました。
きっと、周りから見たら「アイツはいつも怒っとる!」となっていると思いますが、私の中では色々なものが研ぎ澄まされてきたように思います。
でも、これは、言葉は適切ではありませんが、気が狂ってるほどバスケットに打ち込んできたから見えてきたものだと思っています。
この部分については自信を持って「自分はやってきた」と胸を張って言えます。
めちゃくちゃバスケットのことを考えて、どんなことがあってもひたすらバスケットに打ち込んできたからこそ今があると思っています。
もちろん、私のような未熟な指導者はまだまだ努力が必要です。(全く満足できるレベルにいない)
しかし、「先の見えない時代」にガムシャラに頑張って、少し「ビジョンを持って指導できる」ようになってきたときに満足するどころかより高みを目指して努力を重ねてきたことで、一つ一つのことが整理され、見える世界が大きく変わってきました。
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更に高みを目指して
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ビジネスの世界で「エンジェル投資家」と言われる方々が「スタートアップ企業」に投資するときに企業した人の「熱量」が大事とよく聞きます。
熱量のある人は、困難な状況に陥っても諦めずにやり抜く強さがあるからです。
もちろん、事業内容も大切ですが、それ以上に熱量がなければ、政治家が公約を掲げて選挙に出馬して当選すれば公約を実行しないのと同じようなものです。
そういう意味では、私はたっぷりの「熱量」を持っています。笑
色々な人から「異常や!」と言われるので間違ってはないと思います。
この「熱量」に更に強い想いを乗せて40代を駆け抜けていきたいと考えています。
今回の「指導者講習会」は、DCの活動と連動させているのでお手伝いさせてもらいました。
と言っても、会場にいるだけで何も役には立っていませんが・・・笑
Jr.ウインカーカップ京都府予選会 予選リーグのYoutubeです。
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ガムシャラにやるから見えてくるものがある
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昨日、組織や人、それからプレイや戦術の「原理/原則」を考えること、物事の共通点を探って「言語化」したり、「別の分野に置き換える」ということを書きました。
本日は、「先が見えないとき」に私が心がけてきたことを綴りたいと思います。
昨日の記事で「選手が経験していないことを指導者が意図的に経験させる」ことが大切と言いましたが、こういうことは色々なことを経験していないと難しい部分もあると思います。
また、いくら優秀な指導者であっても全てのことを把握できている指導者などいないと思っています。
では、このようなときにどうすればいいのか?ということになりますが、
結論から言うと、「ガムシャラにやるしかない」と思っています。
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ただただガムシャラに過ごした20代
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何事も「先が見えないとき」は、ガムシャラにやり込む中で見えてくるものがあります。
例えば、私が20代の頃の指導は、指導ではなく、ただの罵声です・・・(ホント最低です)
指導中に「俺は勝ちたいんやっ!」と、感情をぶつけていただけだったように思います。
どのように指導をすれば、選手たちが良くなるのかなどわからず、来る日も来る日もただただ叫び続けていました。(今も怒っていますが、当時と今とでは全く違います)
もちろん、当時も自分なりに考えて指導していたつもりですが、今から思うと「ビジョンを持って指導することができていなかった」と言えます。
私は、27歳でチームの指揮を執り、この年に運良くインターハイとウインターカップに出場することができました。
このときは、間違いなく私の指導力ではなく、選手たちが素晴らしかっただけです。
行き当たりばったりの指導で、全く「再現性のない指導」をしていました。
ただただ闇雲に指導していただけなので、次の年はベスト4、その次の年はベスト8、そして、その次の年はベスト16で敗れるという本当に不甲斐ない戦績を残してしまいました。
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ビジョンを持つということがわかってきた30代
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結果は不甲斐ない結果になりましたが、「ガムシャラにやり続けてきた」ことで、この頃から少しずつ指導の捉え方が変わってきたように思います。
なんというか、どのように指導すれば選手が成長するのかが徐々に見えるようになってました。
そして、ほんの少しだけ「ビジョン」のようなものを持てるようになった次の年に一気に決勝まで駒を進めることができました。
そこから、再び「優勝」することができるようになりましたが、なんとなく◯◯したらチームは良くなるという指導で30代の頃を送っていたように思います。
このときは、ある程度「再現性のある指導」になっていましたが、自分の中で「芯」がないというか、「信念」を持って指導することができていなかったように思います。
このことから、20代の頃は「ただガムシャラに指導」し、30代の頃は「ビジョンを持てるようになってきたが信念のない指導」と言えるかもしれません。
そういう意味で、30代もガムシャラに指導し続けてきました。(今もガムシャラです)
そのような時間を送っていると、30代の終わり頃から、今まで取り組んできたことが繋がり始め、色々なことが整理されてきたのです。
点と点が線になって繋がってきたと実感できるようになりました。
例えるなら、「先の見えないトンネルを抜けた」と言った感じです。
スパっと目の前が明るくなったような気持ちになりました。
この頃から自分の中で見える世界が大きく変わりました。
きっと、周りから見たら「アイツはいつも怒っとる!」となっていると思いますが、私の中では色々なものが研ぎ澄まされてきたように思います。
でも、これは、言葉は適切ではありませんが、気が狂ってるほどバスケットに打ち込んできたから見えてきたものだと思っています。
この部分については自信を持って「自分はやってきた」と胸を張って言えます。
めちゃくちゃバスケットのことを考えて、どんなことがあってもひたすらバスケットに打ち込んできたからこそ今があると思っています。
もちろん、私のような未熟な指導者はまだまだ努力が必要です。(全く満足できるレベルにいない)
しかし、「先の見えない時代」にガムシャラに頑張って、少し「ビジョンを持って指導できる」ようになってきたときに満足するどころかより高みを目指して努力を重ねてきたことで、一つ一つのことが整理され、見える世界が大きく変わってきました。
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更に高みを目指して
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ビジネスの世界で「エンジェル投資家」と言われる方々が「スタートアップ企業」に投資するときに企業した人の「熱量」が大事とよく聞きます。
熱量のある人は、困難な状況に陥っても諦めずにやり抜く強さがあるからです。
もちろん、事業内容も大切ですが、それ以上に熱量がなければ、政治家が公約を掲げて選挙に出馬して当選すれば公約を実行しないのと同じようなものです。
そういう意味では、私はたっぷりの「熱量」を持っています。笑
色々な人から「異常や!」と言われるので間違ってはないと思います。
この「熱量」に更に強い想いを乗せて40代を駆け抜けていきたいと考えています。
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